ママ・パパのための、子どもに関する情報発信ブログ
習い事に行く前、玄関で足を止める小学生の子どもの様子

習い事を休ませると休み癖がつく、は本当か

習い事に行く前、玄関で足を止める小学生の子どもの様子

「習い事は、一度休ませると休み癖がついてしまう」

教育系の記事で、よく目にする言葉ですよね。

熱が下がったばかりの朝、あるいは疲れきった金曜の夕方。

「今日は休ませたいけれど、癖になったら困る」

と、送り出す手を止めてしまった経験はありませんか。

お気持ち、よく分かります。

しかし

「休み癖」

という言葉は、現場で子どもたちを見てきた感覚と少し噛み合わない部分があります。

 

こんにちは。

教育系のライターをしている鈴木理恵と申します。

小学校教員から出版社の編集を経て、今は現場と書き手の両側から子育てや習い事のことを綴っています。

今回は

「休み癖」

という定説がどこまで本当なのか、教員時代の記憶と公的なデータを並べながらご一緒に紐解いてみます。

 

 

 

言葉が独り歩きするまで

 

習い事に行く前、玄関で足を止める小学生の子どもの様子

 

不安と結びつく言葉

 

「休み癖」

という言葉が広まった背景には、保護者の不安の存在があります。

とはいえ、その不安をあおる形で言葉が使われてきた面も否めません。

教育系のメディアは、短い文字数で結論を伝えなければなりません。

出版社時代、私自身も

「分かりやすさ」

を優先して、複雑な事情をそぎ落とした経験があります。

「休ませると癖がつく」

という一文は、確かに読み手の心に刺さります。

刺さる言葉ほど、例外を切り捨てたまま広まっていくものです。

 

継続を礼賛する空気

 

もう一つの背景に

「続けることは善である」

という前提があります。

継続は大切だと言われますが、教室で見ていた実感は少し違うものでした。

やみくもに通い続けた結果、その習い事そのものを嫌いになってしまう子も確かにいました。

続けた先に何を得たいのか。

そこが抜け落ちたまま

「休むな」

だけが強調されると、言葉はどんどん独り歩きしていきます。

 

教室で見ていた光景

 

誰もいない教室に机と椅子が並ぶ静かな光景

 

休んだ子のその後

 

担任をしていた頃、習い事を頻繁に休む時期があった子は少なくありませんでした。

ところが、その子たちが必ず

「やめてしまった」

かというと、そうではありません。

教員時代、4年生のはるとくんはサッカーを月に一、二度休む時期が続きました。

休み癖がつくと心配されましたが、翌年には誰よりも夢中でボールを追いかけていました。

現場で見てきた感覚では、休みが増える時期は

「癖」

ではなく、体や心が出しているサインであることがほとんどです。

 

休む=悪への疑問

 

そもそも休むこと自体を悪と捉える見方が、いま揺らぎ始めています。

データを見ると学校を休む子どもの数は、近年ずっと増え続けています。

文部科学省の直近の調査でも、不登校の小中学生は過去最多を更新し続けています。

(出典:文部科学省

「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1302902.htm

この数字は

「休む=甘え」

という古い枠組みだけでは、いまの子どもを語れないことを示しています。

習い事の休みも、同じ地続きの話だと私は考えています。

 

噛み合わない理由の整理

 

自宅のテーブルで子どもと向き合って話す保護者の様子

 

癖ではなく反応

 

「休み癖」

という言葉が現場感覚と噛み合わない理由を、一つ取り出してみます。

それは子どもの休みを

「習慣」

ではなく

「反応」

として見る視点です。

大人は繰り返しを癖と呼びますが、子どもの休みにはその都度の理由がありました。

疲れ、人間関係、行事の重なりなどなど。

でも外から眺めるとどれも同じ

「休み」

に見えてしまいます。

 

主語が入れ替わる問題

 

もう一つ、見落とされがちな前提があります。

「休み癖がつく」

という言い方は、いつの間にか主体が親のほうにすり替わっています。

子どもが休みたいのか、親が休ませたくないのか。

教員時代の同僚が言っていたのは

「その線引きが曖昧なまま叱ると、子どもは混乱する」

ということでした。

休むかどうかを決める前に、そもそも誰の不安なのかをいったん分けて考える必要があります。

 

休ませる前に見ていた点

 

サインを読む

 

では、現場ではどう判断していたのか。

まず見ていたのは、休みたい理由が

「逃げ」

なのか

「回復」

なのか、という点でした。

体調や気力が底をついているときの休みは、回復のための時間です。

ですが特定の場面を避け続ける休みなら、別の対応が要ります。

同じ

「休みたい」

でもその背景はまるで違っていました。

 

戻る道を残す

 

もう一つ意識していたのは、休んだあとに戻りやすくしておくことでした。

休むこと自体より戻るきっかけを失うことの方が、はるかに影響が大きいものです。

登山の途中で一度立ち止まっても、道が見えていれば人はまた歩き出せます。

習い事の休みも同じで、戻る道さえ残っていれば癖にはなりません。

「行きたくなったら、また行けばいい」

と伝えておくだけで、子どもの表情はずいぶん和らいでいました。

 

家族で考えたい3つの問い

 

日の差す道を前を向いて歩き出す子どもの後ろ姿

 

「休み癖」

という言葉は、便利なぶん子どもの事情を平らにならしてしまいます。

大切なのは休みを一括りにせず、その一回ごとに目を向けることだと思います。

 

  • その休みは、回復のためか回避のためか
  • 休みたいのは子どもか、休ませたくないのは親か
  • 休んだあと、戻る道は残されているか

 

正直に言うと、私自身どこまでが回復でどこからが回避なのか、迷う場面は今もあります。

だからこそ、家庭ごとに答えが違っていい問いなのだと思います。

答えは、きっと一つには収束しないはずです。

ぜひ、お子さんの

「休みたい」

の奥にある声に、耳を澄ませてみてくださいね。

 

>