「習い事は最低3年続けるべき」
教育系の記事で、こんなフレーズをよく目にしませんか?
出版社で編集をしていた頃、私自身もこの言葉を何度も原稿に通してきました。
なんとなく説得力がありますよね。
ですが、私が小学校の現場で10年見てきた感覚からすると、この定説、どうしても少しズレてしまうところがありました。
私は元小学校教員として10年勤めたあと、教育系出版社で編集者を経て、いまはフリーランスのライターをしています。
今回は、その元教員ライターの視点から、この定説の出自と、現場で起きているズレの正体を、ご一緒に整理していきましょう。
「3年続ける」が一般化された背景

「習い事は3年」
という言葉が広まった背景には、いくつかの要素が重なっています。
専門家の発信とメディアの単純化
脳科学や心理学の分野で、ある程度のスキル定着には1,000時間が必要、という研究は確かに存在しています。
週1回1時間の習い事なら約20年、週3回なら約7年。
「3年」
という数字は、現実的な妥協点として広がった目安に過ぎません。
編集者として原稿を扱っていた立場から言うと、見出しが一人歩きしやすいテーマでもありました。
「3年は続けよう」
のほうが
「20年あれば1万時間です」
より明らかにキャッチーですから。
定説そのものが悪者ではない
とはいえ、定説そのものが悪者というわけではありません。
判断軸を持たない読者の方に、ひとまずの目安をお渡しする役割は、ちゃんと果たしてきたと思います。
「もう少しだけ続けてみよう」
というブレーキとして、3年という数字が機能してきた場面もたくさんあるはずです。
問題は、その目安が、ある瞬間に
「縛り」
に変わってしまうところにあります。
現場で見た「続けて伸びた子」と「続けて潰れた子」

担任を10年やってきた中で、3年以上続けたお子さんの中にも、伸びた子と、潰れてしまった子がいらっしゃいました。
両者を分けていたのは、続けた時間の長さではなく、その時間の中身でした。
伸びた子に共通していたこと
伸びた子に共通していたのは、その習い事の中で
「自分のペースを見つけた」
経験があったことです。
上手な子と比べるのではなく、先月の自分と今月の自分を比べる。
コーチや先生に言われた通りにやるだけでなく、自分なりの工夫を加えてみる。
そうした小さな主体性が積み重なっていったお子さんは、3年の節目でぐっと伸びていらっしゃいました。
潰れてしまった子に共通していたこと
一方で、潰れてしまった子に共通していたのは、続けることそのものが目的になっていたことです。
3年で辞めても伸びる子はいらっしゃいます。
10年続けて何かを失ってしまう子もいらっしゃいます。
お子さんによって、本当に景色が違いますよね。
数字に意味があるわけではありません。
「3年の中で何が起きていたか」
のほうに、本当の意味があるのだと思います。
ズレの正体:「続ける」が目的化する瞬間

ご家庭の中で何度も繰り返し見てきた現象があります。
親御さんが
「続けさせなければ」
と思った瞬間から、お子さんが
「続けるための子」
になってしまう、という現象です。
親御さんの目的にスライドする瞬間
続けるのは本人なのに、続けさせる目的が親御さんの側にスライドしている瞬間があります。
ここまで月謝を払ってきた、ここまで送迎してきた、ここで辞めたら今までの努力が無駄になる——そう感じる気持ちは本当に自然なものです。
ただ、その感覚が前に出てきた瞬間に、お子さんは
「親のために続けている」
状態になってしまいます。
「無駄」という言葉に反応するお子さん
発表会の前夜、緊張で泣いている児童に、お母さまが
「ここで辞めたら無駄になるよ」
と声をかけていらっしゃる場面を、私は今も覚えています。
「無駄」
という言葉に、お子さんは敏感に反応されます。
自分のこれまでの時間が
「無駄かどうか」
で評価されている、と感じてしまうからです。
ところが、定説のほうは
「続けさせるべき」
とだけ言って、誰のためにかは語ってくれません。
まとめ

3年続けて伸びる子もいらっしゃれば、3年で辞めて伸びる子もいらっしゃいます。
10年続けて誇りになる子もいれば、10年続けて疲弊してしまう子もいらっしゃいました。
私たちが原稿で
「3年は続けさせるべき」
と書いてきたのは、判断軸の入り口をお渡しするためでした。
でも、現場に立ってみると、その入り口が出口を塞いでしまうこともあるのを、何度も見てきています。
- 「3年」は研究から出た目安にすぎず、絶対のルールではない
- 「続けること」が目的化した瞬間がズレの正体
- ご家庭ごとに「何のために続けるのか」を一度書き出してみる
ご判断は、ご家庭ごとに違っていいと思います。
続けるか辞めるかを決める前に
「うちの子と、うちのご家庭にとって、この習い事は何のためにあるのか」
を、一度書き出してみていただけたら嬉しいです。
答えは、きっと一つには収束しないはずです。
一つに絞れない、それで大丈夫です。