「うちは公文、先月やめたよ」
保育園時代から付き合いのあるママ友に、先週そう言われました。
何気ない一言だったのに、家に帰る道すがら、ずっと頭から離れませんでした。
なぜ私はあんなに動揺したんだろう、と。
こんにちは、えりこです。
中学生と小学生、2人の男の子の母をしながら、会社勤めをしている普通の母です。
ママ友や同僚との何気ない会話で、ふと胸の奥がざわっとすることってありますよね。
お気持ち、よくわかります。
今回は、そのざわっとした気持ちと、家に帰ってから自分なりに考えてみたことを、家庭で起きたままお話しさせてください。
あの日のママ友の言葉

その日は、駅前のカフェで偶然会いました。
駅前のカフェでの偶然の再会
買い物の帰り道で、ばったりすれ違ったママ友。
「お茶でもしていく?」
と声をかけてくれて、駅前のカフェに入りました。
お互い、なんとなく時間があって、なんとなく話したかった日だったんだと思います。
コーヒーを飲みながら、子どもの話、ご主人の話、最近のお仕事の話。
話題はゆるやかに移っていきました。
さらりと言われた「やめたよ」
話題が習い事に及んだとき、ママ友がさらりと言いました。
「うちは公文、先月やめたよ。本人がもういい、って言うから」
私は
「あ、そうなんだ」
とだけ返しました。
それ以上の言葉が、出てきませんでした。
コーヒーをひと口飲んで、なんとなく窓の外を見て、話題を別のことに変えました。
家に帰ってから、夫に話したこと

その夜、夫に
「ママ友のところ、公文やめたんだって」
と話しました。
夫の「ふうん」のひと言
夫は特に表情も変えずに
「ふうん」
とだけ言いました。
私はもう少し反応を期待していた気がするのですが、何を期待していたのかは自分でもわかりませんでした。
「うちもどうしようか」
と言ってほしかったのか
「うちはうちでいいよ」
と言ってほしかったのか、自分でもよくわからない。
たぶん、自分の中の動揺をもう一度言葉にしてほしかったんだと思います。
答えに詰まった私の「続けてほしい」
「えりこは、うちの公文どう思ってるの」
と逆に聞かれて、答えに詰まりました。
「続けてはほしいと思ってる」
と答えたものの、その
「続けてほしい」
が本当に子どものためなのか、よくわからなくなっていました。
夫もそれ以上は聞きませんでした。
テレビの音だけがリビングに流れていて、その日の話はそこで終わりました。
「動揺した自分」を考えてみました

寝る前、布団に入ってから、もう一度あの日の会話を反芻しました。
ママ友が先に決断したこと
動揺した理由は、たぶん、ママ友が私より先に
「決断」
をしたことにあるのだと思います。
私はずっと
「うちはどうしようかな」
と保留にしていたのに、ママ友はさっさと決めて、軽やかに前に進んだように見えました。
「先を越された」
と感じたわけではないのですが
「自分はまだ決められていない」
という事実だけが、ぽっかり浮かび上がってきた感覚でした。
比較する話ではないとわかっているのに
比較する話ではないと、頭ではわかっています。
お子さんの状況も、ご家庭の事情も、まったく違う。
ママ友のご家庭のご判断は、ママ友のご家庭の中だけで意味のあるものです。
でも、心は勝手に比較していました。
「うちはまだ決められていない」
「私はちゃんと向き合ってないのかな」
と、夜の暗い天井に向かって、ぐるぐると考えてしまいました。
まとめ

あれから1週間が経ちました。
うちの子は、今も公文に通っています。
続けるとも、やめるとも、私たち夫婦は決めていません。
決めない、ということ自体が、ひとつの選択なのかもしれません。
ママ友のように、すぐ決められるご家庭もありますよね。
私たちのように、決めずに引き伸ばすご家庭もあります。
どちらが正しいというより、ご家庭ごとのテンポが違うだけなのかな、と最近は感じています。
- ママ友の決断と自分の保留を、無理に比較しない
- 「決めない」ということ自体も、ひとつの選択になり得る
- ご家庭ごとに判断のテンポが違うのが当たり前
今夜、子どもが寝る前にちょっとだけ聞いてみようと思っています。
「公文、楽しい?」
と。
返ってくる答えで、何かを決めるわけではありません。
でも、聞かないまま続けるのも、もう違う気がしています。
何かを決断する前の
「保留中の時間」
も、実はとても大事な時間なのだと感じています。
同じように保留していらっしゃる方がいらっしゃったら、その時間ごと、ご家族で大事にしてみてください。